わかくさモノ造り工房

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ペーパークラフトを中心に創る造る作る

ペーパークラフト雑記04

ペーパークラフトの歴史余談>

わたくし歴史好きなんですが、とあるところでとある情報を耳にしました

歴史上の偉人 江戸末期~明治期を生きた榎本武揚の話です 彼とペーパークラフトの意外な関連について語ってみようかと・・

 

この方、とにかく多才、何でもできる人だったようです

7か国語を話すことができ、政治、経済、軍事、化学、航海学、機械学、当時のあらゆる最先端の学問に精通していたとか

生まれは1836年江戸下谷御徒町(現東京都台東区御徒町)で武家の次男として生まれました 福沢諭吉さんの1年あとですね

彼は幼少時より江戸幕府直轄の昌平坂学問所儒学と漢学を、ジョン万次郎の私塾で英語を、20歳頃には長崎海軍伝習所で航海術、国際情勢、化学などを学びました

その後オランダ留学で、オランダ語国際法、軍事知識、造船技術などを習得

ここまでは幕末の諸藩にありがちなエリート学生ですな

さてここから波乱が始まります

武揚31歳の1867年、徳川慶喜による大政奉還が行われた後、翌年から戊辰戦争が始まります。まずは鳥羽・伏見の戦い。この時武揚は幕府艦隊の一員として阿波沖海戦で薩摩海軍と戦い勝利します。大阪城に入ったものの、その夜徳川慶喜が夜逃げww

東京に帰ってしまいました

その後もすったもんだあって、降伏・和平派の慶喜に対して武揚は最後まで徹底抗戦を主張し続けたようです

江戸城無血開城した後も、戊辰戦争は続行し、奥羽列藩同盟が東北戦線を支えていました。新政府軍の目を盗んで東京湾を脱出した榎本の艦隊は、東北の援軍に向かうも東北戦線は崩壊。敗残の将兵を集めて最終決戦地の蝦夷・函館を目指します。

11月1日 五稜郭に入場した榎本は翌月にナント!蝦夷の独立を宣言「蝦夷共和国」を樹立します。しかもそこでは日本史上初になる選挙がおこなわれ総統の座に就きます。

ここから五稜郭の籠城戦を舞台にした有名な「函館戦争」が始まります。

ペーパークラフトと何の関係があるのか、って?

ここからが本番ですww 待て!次号