わかくさモノ造り工房

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空母飛龍を作ってみた11 ~空母の艦橋について その2~

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今回は空母の煙突について語っていきましょう

 

通常の艦船であれば煙突はド真ん中に設置し、上に伸ばせばOK

ところが空母はそうはいきません 空母の特徴として煙突は必ず右舷にきます

(例外は “鳳翔”の起倒式煙突 と “加賀”の黒歴史 変態両舷後方煙突ww)

 

なぜかというと・・・船の歴史から紐解かないといけないのでちょっと話が長くなります

 

古い時代の船は、船の正中(真ん中)に舵を取り付ける技術がありませんでした。むー・・・、確かに造船の素人考えでも、大きな船の上から正中の舵を操作するとなると船底に穴を開けないといけませんからね。浸水対策の拙い時代や、ビルジポンプの概念がない時代は舵は船の外側についていました。今の昔も右利きの人が多いですが、それらの舵は右舷に付けることが多かったようです。

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となると船が寄港する際には舵が邪魔になるので、左舷着岸するのが習慣になっていたようです。

日本語での右舷、左舷は英語ではスターボードサイド(Starboard)、ポートサイド(Port)と呼びます。舵が付いているSteeringboardが訛ってStarboardになったようです。

実は私が琵琶湖で活動していた学生の頃、先輩から

「左舷は港に着けるからポートサイド」

「寄港時、夜になると右舷には満天の星空が広がるからスターボードやねん」

と、教えられておりそれを長らく信じていました。今でも個人的には後者の方がロマンチックで良いと思うのですがいかがでしょうww

 

さて、以上の話からお分かり頂けると思いますが、もし日本空母のような湾曲煙突が左舷にあったらどうなるか??またはうっかり右舷着岸してしまったらどうなるか??

想像してみましょう・・・

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いや多分そんなことは無かったでしょうけどね (雑すぎるイラストでスミマセン)

 

 

空母の煙突が伝統的に右舷なのはお分かり頂けたと思います

さて、空母の宿命として甲板の真ん中には構造物を置けません、艦載機の離発着の邪魔になるからです。ところが、頑張って甲板上スペースをガッツリ空けてもまだ問題が残ります。

それは、煙突からの排煙

これが船の右舷から後方上空に舞い上がり甲板を覆って視界が悪くなったり、乱気流となって船の後方から着艦しようとする艦載機の姿勢を乱します

これは空母という艦種が誕生し黎明期に凌ぎを削った英国、米国、日本がそれぞれ頭を悩ませ、創意工夫を行ったポイントでもあります

特に、日米は両者全く異なった煙突の進化を遂げて行きます

 

米国は巨大な艦橋、巨大な煙突を右舷に設置して、排煙を遥か上方に飛ばし、艦載機はその下をくぐるように着艦する方法を採りました

確かにアメリカ的な豪快さと合理性を感じますが、その分どうしても排水量(重量)が大きくなり、またトップヘビーになるためバランスをとるのも大変ですね

また敵に見つかり易くもなります

 

それに対し、日本は煙突を右舷からさらに外側に向け、ついには下にグニャリと曲げてしまいます 

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さらに噴煙が上方に上がりにくくするために煙突の中で海水をぶっかけて冷却してしまうという方法をとりました

これはこれで豪快!!

映画「永遠の0」ではVFXを使って凄いリアルに赤城の排煙を再現してましたよね

 

さて、それぞれに進化した煙突、この数十年の間にさらに進化を遂げ、現在の空母ではどのようになっていると思いますか??

 

答えは・・・

 

原子力空母なので煙突はありません.∵・(゚ε゚ )ブッ!!

 

ただ日本の空母も、大戦後期(飛鷹型、大鳳信濃など)には上方外側への傾斜煙突に落ち着いて行ったので、やっぱり煙突は下よりも上に向ける方が自然だったのかも知れません

 

再び艦橋の話に戻りましょう

当時の日本の空母は右舷艦橋か左舷艦橋かフラッシュデッキタイプ(つまり甲板上に艦橋無し)の3種類ありました

 

当然上から見たときの判別点にもなりますが、前回掲載した側面写真でも特徴が出ます

同時代の加賀、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の艦橋が船体の前方約1/3に位置するのに対し、赤城、飛龍は船体のほぼ真ん中に艦橋がきます

前者(煙突、艦橋)は煙突の前方に艦橋を置く必要があり、後者(煙突、艦橋)は煙突の位置に関係なく自由に艦橋を置けるからです

ではもう一度 赤城 と 加賀 のシェーマを見てみましょう

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・加賀のように煙突、艦橋にすると、艦橋に当たった風が乱流を起こして、煙突からの排煙に影響を与える

・赤城のように煙突、艦橋にすると艦橋からの影響は少なくなる

と漠然と考えてしまうのですが、実際には逆だったようです

 

1916年にイギリスで行われた風洞実験では、空母の飛行甲板上の構造物を一方にまとめた方が気流の乱れが少なくて済む という旨の結果が出たそうです

当時は日英同盟も破棄される前でしたので、日本軍もその結果を知りえたはずですが、まだまだ空母そのものの用兵思想が固まっておらず、各国とも試行錯誤が続いていました

 

その中で赤城、飛龍の艦橋が左に設置された理由として

・煙突と艦橋を左右に振り分けることによって格納庫のスペースに余裕ができる

・戦時や緊急時に艦首側から着艦することがあるかもしれない

→だから艦橋は艦首側、艦尾側から等距離の船体中央に

→右舷だと煙突と干渉するので中央に置けない

→だから左舷中央で

ということだったらしいですが、結局右艦橋でも格納庫の収容能力は変わらないし、戦時に艦首側から着艦する事例もありませんでした

でもそれが判明した時には設置が終わっちゃってて、いまさら変えられないわぁ

ということで左艦橋のまま残ってしまったそうです

 

さて、飛龍に先立って完成してしまっていた赤城さん

実用の段階で、左艦橋に最も不平を漏らしたのが、艦載機のパイロットだったと言われています

というのも当時のプロペラ機のエンジンは、進行方向に向かって時計回りに回転するのが一般的でした

となると、作用反作用の法則で機体は進行方向に向かって左へ、左へ回転しようとする力が働きます

当然機体の設計の段階で、開発者が頭を悩ませた問題であって、それなりの対策は取られていたようですが、操縦するパイロットの方々は、やはり

左に傾くような

気がする

ことが多かったようです

そんな感覚で着艦しようとしたとき、左側に艦橋(障害物)があると

すっげぇ気になる

のも仕方がないことだったのかも知れません

 

そんなこんなで、時代と共に空母という艦種の艦橋は右側固定で定着していったようです

これは現代の巨大な原子力空母も同じです

今日の日本における軽空b・・・ゲフンゲフン じゃなかったヘリコプター搭載護衛艦も右煙突・右艦橋なのはこれらの伝統が影響しているのでしょう

 

という訳で、空母の写真を観た際に、明確に “飛龍” であることの見分け方

艦橋が左に付いている 艦橋が船体の真ん中に付いている

ここまでは赤城も同じ 最後に・・・

飛行甲板が赤城より低い

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(赤城の画像はペーパークラフトの『紙模型工房』より拝借)

これで完璧です

 

さて前回の空母たくさんの写真

答え合わせです

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赤城   翔鶴   信濃

加賀   瑞鶴   雲龍

蒼龍   隼鷹   天城

飛龍   大鳳   葛城

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