むかーしむかしのことじゃった
今を遡ること約170年前
1851年、イギリスの首都ロンドンにて「第1回国際博覧会(のちの万国博覧会)」が開催されました
(´-‘).。oO(日本ではペリーさんが浦賀に来る2年前どすな)
大英帝国、俗に「ヴィクトリア朝」とも呼ばれ、太陽の沈まぬ国として繁栄の絶頂期といっても差し支えありません
もちろん海洋帝国としての自負もあったでしょう
万博の目玉イベントの一つとして、イギリスが誇るロイヤルヨットスクォードロン(以下RYS)によるヨットレースを開催することになりました
いわば王室お抱えのヨットクラブですね
世界を股に掛ける英国の快速船と、名だたる船乗り達が集まって腕を競う訳です
これが世に名高い
ビクトリア女王およびRYS主催「ワイト島一周レース」
Google マップ(一部改変)
女王はこのレースのために、豪華な「銀製の水差し型の杯」を用意しました
正式名称「100ギニーのロイヤル・ヨット・スクォードロン・カップ」
参加艇はRYSの船ばかりで、どちらかというと示威的なエキシビジョンだったと推察されます
ただ1艇だけイギリス以外からの参加がありました
当時新興国だったアメリカ合衆国のニューヨークヨットクラブ(以下NYYC)所属の船が招待されたのです
オランダやフランスなど他にも海洋強国はあったはずですが何故アメリカ合衆国のみに招待状が送られたのかは分かりません
咬ませ犬として新参者アメリカ合衆国の鼻っ柱を折ってやろう、という意図があったのかも知れません
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帆船「アメリカ」
はるばる大西洋を渡ってやってきた帆船、その名も「アメリカ」
全長101フィート(約30.8m)、水線長90フィート(約27.4m)排水量170トン、
2本マストのスクーナー(すべてのマストに縦帆を装備)で、特に珍しいタイプではありませんでした
そもそもアメリカ以外の参加艇も大小の差(14艇47~393トン)はあれど、スクーナーかカッターのみ(どちらもすべて縦帆)
そしてレースは大々的に開催されます
国際博覧会という絶好のステージ、世界中が刮目する中での女王陛下の思惑・・・
優勝した臣下に銀杯を下賜し、大英帝国の造船技術・操船技能の高さ世界中に誇示したかったことでしょう
ところが、ワイト島を周って1番に帰ってきたのは他でもない
「アメリカ」
しかも他を寄せ付けないダントツの1位でした
それを見た女王陛下は侍従に問いかけました
「2番手は誰ですか?」
それに対し答えたのが有名な
"Ah, Your Majesty, there is no second."
ワタクシ英語は得意ではないので、これの意味するところが
直訳で「ああ・・・陛下、2番手はまだ見えません」
なのか
意訳で「ああ・・・陛下、アメリカ如きに1位を譲るような不名誉な2番手など存在しません」
なのかよく分かりませんが
女王陛下の落胆具合を、お恐れながらも推察できるというものです
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第1回アメリカスカップ
見事ヴィクトリア女王陛下から頂戴したカップを持ち帰った5人のオーナーですが、しばらくの間はカップを持ち回りで各自宅に保管していました
その後
「国家間の友好的な競争を促進する永続的なカップ」であるとし
「カップの保持者は、いかなる国の挑戦も受けねばならない」という理念を記した「贈与証書」なるものをカップと共にNYYCに寄贈しました
これに基づき
1970年 アメリカスカップという名を冠するヨットレースの第1回がNYYC主催で開催されることになるのです
ちなみにこのヨットレースは近代スポーツとしては最古の大会と言われています
ちょっと他のスポーツと比較してみましょうか
各大会の初回開催年
1851年 ワイト島1周レース
1877年 ウィンブルドン選手権(テニス)
1896年 近代オリンピック
1930年 FIFAワールドカップ(サッカー)
レースの名前としてはゴルフに一歩譲りますが
授与されるべきカップの来歴としては最古と言っていいでしょう
ワイト島1周レースを原型とした、近代スポーツで最も古い大会の一つとして間違いありません
前回お話したティークリッパー船の例もあり、その年の「初物」茶葉を誰よりも早くイギリス本国へ持ち帰るレースを1830年代から繰り広げていたイギリスですから、当然っちゃ当然ですわな
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だから「アメリカスカップ」
ここまでの流れを復習しましょう
1951年に銀杯が最初に登場した時のレース
あくまでロンドンの国際博覧会で開催された、ヴィクトリア女王陛下およびRYS主催の「ワイト島1周レース」なのです
そのレースにおいて、当時のヴィクトリア女王からカップを獲得した船が
帆船「アメリカ」でありそのカップは「アメリカスカップ(America's Cup)」と呼ばれるようになりました
さらにそのカップを奪い合うため、1870年にニューヨークヨットクラブが改めて開催したレースも「アメリカスカップ(America's Cup)」
決してアメリカ合衆国を対象とした
「アメリカンカップ(American Cup)」ではない!!
ココ大事!
ちなみにアメリカンカップは別にありまして
資料によっては「アメリカスカップ」「アメリカズカップ」の両方が散見されます
これは日本語のカタカナ表記の問題でもあるのですが、どうも「ス」の方がネイティブ発音に近いらしい
個人的にも「アメリカスカップ」の方がちょっと通っぽいと思ってはいる
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帆船「アメリカ」の先進性
さて、帆船「アメリカ」
その先進性を検証しようと他の参加艇との比較を試みたのですが、今の私の情報収集能力(主にネット)では詳細な検証ができる資料を見つけられませんでした
なぜそんなにダントツの1位になったのか?という理由を説明出来るほど他の艇と大きな違いが分かりません・・・
が、各資料の解説を読んで私なりに解釈したところでは
船体全体を細くし、舳先の幅はさらに細く鋭的に
また船底のキール(錘)となる部位を中心に寄せ、深くする代わりに船首付近の上下系も細くなるように設計されています
簡単に言うと、先を尖らせた + キール(錘)を一か所にまとめた
つまり今まで見てきたキールの進化をそのままなぞりつつ、さらに先鋭化させた感じですね
商船のカティサークと比較するのはどうか?という意見もお有りかとは思いますが
今後のキール変遷の流れ的に、ある程度船型の差が分かりやすいようにセレクトしています
あと「アメリカ」のほうが古いじゃん、というツッコミは無しの方向でww
もう一つの理由は、船長および船員の練度が高かったのではないかと推測します
例えば
現在のヨットレースはワンメイク(クラスルールにより船の仕様が決まっている)で同型船のレースが多いのですが
「同じ船のはずなのに、なんでこんなに差をつけられるんや~!!」
という苦い思いをしたヨット乗りは多いことでしょう
結局のところ、ヨットの速さの大部分は乗り手に左右されるのです
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まだまだこれが始まり
前回記事の最後に言及したあのレースは「ワイト島1周レース」
活躍した船は「アメリカ」だったのです
世界最高峰にして最古のヨットレース「アメリカスカップ」について熱く語ってきましたが、これだけ記事を書いてもまだプロローグ的な部分しか語れていません
時系列的には第1回レースが開催されたところです
今後もキールの変遷を語るうえで、基本はこのアメリカスカップ参加艇について時代を追ってみていくことにしましょう
上に挙げたGIFと同様の動画を繋ぎ合わせていく予定です
この遅々とした記事更新のスピードで、果たして現在時間に追いつけるのか・・・
でも次はいきなり例外的な漁船が登場します そうです私の独断と偏見です
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