わかくさモノ造り工房

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帆船終焉のその後 軍用艦ルート もし近代戦艦に帆が付いていたら

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ボチボチ自分の趣味を前面に押し出した(一般ウケしない)記事を再開していきましょうかね

今回は半分妄想、半分本気の雑談記事です

 

キールの歴史を語る上で、帆船カティサークのお話をしましたが

1869年を境に帆船の歴史は急激に終息に向かうわけです

 本編の方は商業船、遊興船、競技艇として生き残っていった帆船・ヨットの話を進めています

 

一方、軍用艦として使用されていた帆船はどうか?

ある日突然煙のように消えてしまったわけではありません

この記事は、帆船→汽船(ここでは蒸気機関レシプロエンジンなどの動力艦を指す)

へ移行した軍艦の話です

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このような軍艦発展の過渡期には、風帆船、汽帆船、蒸気船の混成艦隊で海戦を行っていた例が散見されます

アヘン戦争での拠点攻略(1841年)

Destroying Chinese war junks, by E. Duncan (1843).jpg阿片戦争 - Wikipediaより

これは有名な絵画ですね。近代兵装のイギリス艦隊(帆船・汽船混成)が旧態依然とした清国艦隊を一方的に砲撃しています。

 

クリミア戦争でのシノープの海戦(1853年)

BattleOfSinop.jpgシノープの海戦 - Wikipediaより

平水面の軍港内で敵味方入り乱れています

どの艦もほとんどセイルを上げていません

かといって煙は砲撃・火災によるもので煙突からのものが見当たらないのです。

wikiによるとロシア軍が一方的にオスマントルコ軍を攻撃したそうですが、無風で両者とも止まっていたらロシア側もただでは済まないと思うのですが…

よく分かりません

 

普墺戦争でのリッサ海戦(1866年)

f:id:wakajibi2:20210113183255p:plainリッサ海戦 - Wikipediaより

木造の戦列艦が装甲艦の横腹に衝角をブチ当てたシーンです

本来なら仕掛けた側の勝ちなのですが、強度の関係で両者とも破壊されたとか

 

もうね、外輪船やら装甲艦やら戦列艦やらフリゲート、はてはジャンク船まで

新旧甲乙 入り乱れて大乱闘の様相を呈しています

各種海戦の戦訓から、当然の如く帆船よりも汽船の方が有利であることが分かってきます

 

その後

日清(1894-95)日露(1904-05)戦争期になると、ほぼすべての軍用艦は汽船(石炭燃焼エンジン)となり

f:id:wakajibi2:20210116114635p:plain特集・日本海海戦~天気晴朗ナレドモ波高シ~:時事ドットコムより

遂に!名実ともに帆船の時代は終わりを告げるのです

 

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ではその間の微妙な時期(19世紀後期)はどうだったのでしょう?

ここで2つの軍艦を紹介しましょう

 

防護巡洋艦「畝傍(うねび)」(1886年完成→回航中に行方不明)

Japanese cruiser Unebi 1886.jpg畝傍 (防護巡洋艦) - Wikipediaより

f:id:wakajibi2:20210114111835p:plain

 

防護巡洋艦「ボストン」(米:1887年就役)

Uss boston ca.jpgボストン (防護巡洋艦) - Wikipediaより

f:id:wakajibi2:20210114111851p:plain

写真を見てお分かり頂けるように、立派な煙突や甲板上の大砲などがみられますが、一方で帆走用のマスト、ヤードなども標準装備されております

イラストでも表現してみました、それぞれ船体は同じでありながら

帆走時には往年の帆船らしさが残っており

汽走時にはしっかり近代軍艦としてのシルエットに

見た目の印象がガラっと変わってしまうところに、この時代の船の魅力があると言えます

 

 

 このように時代に伴って、軍用艦の造船思想は

帆走のみ

帆走>汽走

帆走=汽走

帆走<汽走

汽走のみ

というように段階的に移行して行き、軍用艦の大型化、機関の馬力・信頼性が向上したあとは帆走できなくなった、あるいは必要が無くなっていったのです

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では、今回の架空艤装

戦艦三笠(1902年就役)

上記防護巡洋艦とは大きさも排水量も大幅に異なり、比較はできないのですが

三笠くらいまでの戦艦であれば、(追い風限定で)ギリ帆走も可能だったのでは?

故障や被弾による破壊で機関停止した場合でも、もしかしたら風を使った推進力によって自力で戦線を離脱したり修理が出来る港まで移動することも想定していたのではないか、と推測しています

公式記録や画像として残っていないだけで、公試運転時に展帆して速力を測定していたに違いありません(妄想)

 

以前作った戦艦三笠のペーパークラフトを眺めているうちに・・・

マストとヤード的なものが残っていたから気になってしまって、つい・・・

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ムラムラと汽帆船バージョンを作ってみたくなったクリエイターの妄言でした

どうです?

あの戦艦「三笠」ですら、帆走モードにすると帆船としての面影が残っていますよね?ね?

これで機関停止してもギリギリ前進できるぜ

実際に三笠は日露戦争において、黄海海戦後も日本海海戦後も特に問題なく航行できていましたのでセイルの出番(妄想)はありませんでした

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その後の日本の戦艦ですが・・・

金剛型

金剛型戦艦 - Wikipediaより

 

扶桑型

Fuso trial.jpg扶桑型戦艦 - Wikipediaより

これらのクラス(いずれも建造時)は辛うじて帆船的なマストの名残が見られます

さすがにここまでくると、マストはお飾り的な存在になり

結局は近代化改修によって高層化した艦橋(ブリッジ)の支柱的な役割を果たします

船の大きさ・排水量(重さ)に比べ相対的にマストは小さく、風力による推進は不可能だったでしょうね

 

さて、ここで 

第二次大戦期に大型艦が故障や被弾で機関停止し、移動できなくなった場合はどのような対処をしていたのでしょう?

 

駆逐艦が空母を曳航した事例(1945年)があります

1,300トン38,500馬力の駆逐艦「夕風」が客船改造空母「海鷹」16,700トンを

速度わずか2ノットで約20km曳航した、という記録があります

夕風 (駆逐艦)#「海鷹」曳航 - Wikipedia

ただこれは別府湾内でかつ凪の状態だったので可能でした

それでも夕風は一部損傷、使用した径28mmのワイヤーも切れるかどうかヒヤヒヤだったとか

 

波高の外洋ではほぼ不可能だったでしょうね

実際に、ミッドウェー海戦(1942年)で大破した空母「赤城」を曳航して離脱しようという案もありましたが、結局果たせず雷撃処分となりました(´;ω;`)カナシス…

 

最後に

戦艦大和のマストはどーこだ??

 

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ここです

 

戦艦大和では、マストという名称は残っているものの、我々の想像する帆船らしいマストはその面影すら無くなっています

・・・ええ、最期は曳航どころか機関の大爆発で轟沈です (´;ω;`)カナシス…

 

以上、軍用艦における帆船の終焉の話と架空艤装の戦艦「三笠」でした

次は本編に戻って、帆船→ヨットとして生き残った船の進化を追って行きましょう 

(´-‘).。oO(まだまだ先は長い)

 

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